電気の話1(WAVの話)

何かと身の回りで電気を使わないものはない。 思った以上に電気に頼っている昨今。 でも、意外にその詳細を分かってなかった!と、痛感中。 V(ボルト)=電圧(電気を押し出す力) A(アンペア)=電流(電気の流れる量) W(ワット)=電力(実際に消費される電気エネルギー) で、ナンノコッチャ?です 普段使ってる電気家電なぞ気にしたことなかった…。 というのも、電気をお家に引き込む際にA(アンペア)を指定しなければならず、 電気配線計画なるものを考えなければならなくなったからです。 消費電力1000Wのドライヤーを100Vの電圧で使う場合、A(アンペア)は… 1000(W)÷100(V)=10(A) ドライヤーと他の電気機器を使う時に、全体で10Aプラス他の電気機器の使うアンペアがプラスされる。でも、それだけじゃなくて、電力は100%の状態で使えるわけじゃなくて、VA(力率)というその電力を有効に使えるかという値を負荷して正式なワット数となる…。 エネルギー問題で、発電とか太陽光とか気にはなっているものの、そんな根本的なことすら分かってなかった…。 ちなみによく請求書に書いてある「使用電力量」は W×H(時間)=Wh(消費電力量) で、100Wの家電を1時間使用すれば、100W×1h=100Wh 10時間使用すれば100W×10h=1000Wh=1kWh となるw まだまだあるよ。 直流だの交流だの、ヘルツだの。 直流は要はずっとプラス方向に流れ続ける電流で、交流はプラスとマイナスを行ったり来たりする電流(どんなの?)だとか。 なんのことだ? で、突き詰めるとそこから始まる電気家電w 理屈を知らないとどうにも腑に落ちない。 困ったものです。 生活に深く結びついておりながら、全然知らなかったよ…色々。 電気=電子の流れ 導体(電気を通し易い物質) 絶縁体(電気を通しにくい物質) 1Aの電流は、1÷電荷(1.6×10-19Q(クローン))だそうだ。 室内の電気配線を考えようと思っていたら、ここから始まる私W 先は長いW

トイレ問題

これから住む所は、とても水の綺麗な所です。 ですが、下水道とかが通っていない所なので、 漏れなく合併浄化槽なるものを取り付けると思われるのですが、 自分達が生きる上で出てしまう汚水の処理って、都会にいると下水で処理してくれるから何気なく流して終わりにしてしまっている問題なんですが、意外に深刻だなと思いました。 水を綺麗にしてくれているのは誰? そう。「自然です」。 合併浄化槽とはいえ、その先は自分たちの水に影響を与えるのです。 (ちなみに浄化槽とは微生物で強制的に水を綺麗にして水を流すシステム) 自然の浄化作用を超えて汚水を流せば、その汚水を自分が飲むことになるのです。 ハワイに行った時に、飛行機の中で「ジャングル水」なるものが機内で出てきました。 一応熱殺菌はされていたようですが、その水は「雨水」だと書いてありました。 都会の雨水、飲めます? 飲めませんよね。 どんどん私たちは自分の手で飲めない水を増やしているのです。 おお怖い。 トイレ問題。 これからどうなることやらですが、自然に優しい暮らしの幕開けということは間違いないですw

八ヶ岳計画始動…

どこをどうしてここを選んだのか?W 数年前からずっと「八ヶ岳に住みたい宣言」はしていたものの、本当にこんなことになるなんて…w 現地であれこれ探索せずに、たまたまネットでたどり着いた物件。(ずっと探してはいたけれど) 物件の場所をググって物件の連絡をせぬままに勝手に行ってまずは「どんな物件かしら?」と偵察に。 うむむ。なかなかでかい物件。 一人で住むには明らかにでかい。 でも、これから私がやろうとしている「新しい関係性のある集団」を作り、集めるには凄くいい感じ。 2018年5月頃に行ったハワイで、ものすごく自分の中を揺さぶられ、 もう野となれ山となれと自分自身であることの難しさと開放感を味わった。 もうそんな感じ。(ハワイの話は知ってる人しか話さないよ!w) で、物件のリフォームご指南をいただいている「風の森建築事務所」のTさん&Kさんを連れて、 「本当にここ大丈夫かしら?」 と不動産屋さんに同行してもらい、「いけんじゃね?」的なことを言ってもらう。 かといって、全財産はたく様なクレイジーな案件…。(建物の骨組み以外全部使えない。苦笑WWWW) あたしのチキンなハートが「こえぇ〜〜〜〜」と、その直後に近所に出たお一人様用素敵お住まいに揺らいだW でもね、迷ったときの選択方法。 「迷った時はね、どっちが正しいかなんて考えちゃダメ。 どっちが楽しいかで決めなさい。」 by 漫画「宇宙兄弟」のシャロン博士の名言 そう。 漫画の名言に従った私W でも、色々それからあって、物件の値段交渉だとかをしていたらあっという間に1ヶ月。 10月の大安吉日に契約を交わし、無事物件取得と相成りました。 物件のオーナーから。 「この物件は結婚成立した縁起のいい物件ですよ!」 とのお墨付きもいただいたので? 元気百倍です! と、言いたいところですけど、まだ内心不安MAXですw これから、ライフラインをどうするのか?とか、とりあえず住めるまでの道のりを、 自分共々お楽しみいただければと思っております。。。。。ふぅ〜=3 w

罰ゲームは、ハッピーゲーム?

何かをしくじったときに「罰ゲーム」をすることがある。 たまたま見ていたテレビの情報でふと気づく変なテーマが今回はこの「罰ゲーム」。 ある人にとっては「歌うこと」が苦手で、それは罰ゲームになりうるけど、歌が得意な人にとっては楽しい出来事でしかない。 罰ゲームはその人にとって苦痛、苦手なことが対象になる。 そこで、自分の苦手は何だろう?と考えてみた。 よく、肉体的な痛みとして、電気ショックとか、デコピンとかそいうのは確かに苦手だけれど、これは誰しもが苦手なこと。 万人にとっての苦痛は罰じゃない、ただの苦痛。(他人の不幸は蜜の味的な…) そんなこんなで、私にとっての罰ゲームはただじっとだまって座っていることかもしれない。 なんにもしないこと。 でも、これは周りの人が楽しめないし、自分とって苦痛だけど楽チンですww(一生って言われたら怒るけどね) 巷の「罰ゲーム」は当人の「困ったな、恥ずかしい、いやだなぁ」を周りの人が楽しむという要素もある。 そんなこんなで、人様が苦手なことが、意外に苦手じゃないことに気づいた。w でも「罰ゲーム」として、怒鳴られ続けるとか、おやつ抜きとか、いろいろ考えてはみても、私にとっての「苦痛」はとても原初的な誰もが「苦痛」と感じることなので、周りの人が「いじめ」的によってたかっていじめる内容のことになる。(他人の不幸は…的) よく人付き合いが苦手、人前で話すことが苦手、歌うことが苦手、絵を描くことが苦手、とか、「苦手」は、もしや、「上手じゃない」ということが根底にあるのでは!? おや?! そして、克服ができそうな物事には、喜びや、笑いがくっついてくる!? 本当の罰ゲームって、「できるようになる」ことなんじゃない? 罰ゲームは「克服ゲーム」だとしたら、とてもハッピーなんじゃない?

シンクロニシティとつながり

よく知り合いと妙なところでばったり会ったり、電話をしようとしたタイミングでかかってきたり、 メールを送った直後にメールをもらったり(同時に送りあってたり)、こういうことがよくある。 とはいえ、それは自分が気になっている人に限りますが。 一番わかりやすいところで、両親や兄弟姉妹などもありますよね。 お昼にカレー食べて、帰ってきたらカレーとか、お昼に餃子を食べたら、帰ってきたら餃子とかw そんなこんなで、最近気になっている量子力学で「量子もつれ」という事象があります。 量子世界では、それぞれの粒子で状態が重なり合うだけでなく、複数の粒子がセットで状態の重なりをつくることがある。このような連携をいう。もつれ合いが離れた粒子の間で保たれると、量子力学の特徴である非局所性が現れる。量子情報科学では重要な役割を果たす。 なんのことやら?ですよね。 いわゆる、通常セットであるべき電子が別々になり、すご〜〜〜く何光年も離れていても、こちらで「えい!」と動けば向こうの電子も同じタイミングで「えい!」と同じ動きをするということらしい。 で、私が勝手に思っていることなのですが、誰かと深く知り合いになるということは、このセットの量子の片方をお互いに持ち合って、こちらで「お〜い!」ってこの量子を動かすと向こうも知らずに「お〜い!」って感じになるんじゃなかろうか?と。w これ、テレパシーやんW それに気づいてから特に気になっていることは、 つながりたくない感情や状況を持ち合わせている人に全然興味がなくなったこと。 昔は「この人のこの状況をどうにかしてあげたい…」とか思って奮闘したのですが、 えてしてその人の改善できない状況を私の中に引き込むことにもなる。 明らかに改善の余地のある人(前向き、ポジティブ)で、自分同様に解決できる人ならばどんどん邁進できる! 楽しいことや興味もしかり。 同じ状況で止まるのではなくて、方向性は一緒ながら、多様性を共有する関係? まだまだ未知の分野の量子ですが、その可能性は本当に気になっている。 追伸:「マヨナラ粒子」とか、「ヒッグス粒子」とか、最新の量子物理学が今とても面白い!

駅ピアノ

たまたま「駅ピアノ」という番組を見た。 駅の通りすがりの人が誰でも弾いて良いというピアノがある駅で、そのピアノを弾く人たちを映像にしたものだ。 NYだったり、アムステルダムだったり、フランスだったり、今日本でも増え始めているのかな? 小さい頃習い事で習った人、辛い境遇の中で覚えたピアノが今の人生の生きる糧になっている人、人とのコミュニケーションのために弾いている人、それを仕事にしている本物のミュージシャン。 様々な通りすがりの人たちがピアノを弾いていく。 どういうきっかけで音楽に触れ合ったのかはいろいろあるのでしょうが、何気なく「弾きたいな」と、何気なく「言葉にはできない思いを吐き出したい」と、表現できるツールがあるということは素晴らしいと思った。 誰かに評価されることでその音楽は成り立っているものではない。 自分自身のための音楽だ。 でも、その音色から受け取る感情を誰かが通りすがりに耳にして、何かしらの余韻や感情を持ち帰る。 表現をするということは、本当は当たり前に手元にあって良いはずなのに、日本では「Special感」が否めない。 下手だから。 上手に弾けないから 恥ずかしい だから、特別な人しか表現は許されていない…? いえいえ。手元にあるそのツールが、本当に素晴らしいものだということ。 下手だろうが拙かろうか、音楽というツールに乗せて自分というものがどういう人であるのかを表現し伝えることができる。 料理もしかり、芸術もしかり。 表現というツールに屬するもので、「下手」とか「恥ずかしい」は皆無だ。 それに気づくことで、自分を閉じ込めなくて良いことになる。 そうすると、不思議に誰かの表現にも気づくことができる。 狭い世界から、広い世界へ。 なんと豊かなんでしょう。 と、その番組をみて、涙があふれたのでした。てへ。

自転車のブレーキが気になってたまらない

ママチャリに多いのですが、自転車に乗ってる時にブレーキを握っていない人が多い。 子供を後ろに乗っけてすっごいスピードで走っているにも関わらず、ブレーキ握ってない!!! 曲がり角も一時停止なしにギュン!と回っている。 あぶね〜! そんなこんなで、気になっていつも自転車に乗ってる人の手元を見てしまう。 以外に男性はブレーキを握っている人が多い。 自分もそうですが、自動車に乗るであろう方達は握っている率が高い。 これはもしや「自転車に乗っている人が危ないものに乗っている自覚がない!?」のではなかろうか? それなのに、電動自転車とはもうすでに免許持ってない人に二輪車状態…。 責任感を持たせるにはやっぱり自転車も免許制度があればいいのに…。 ちなみに、自動車教習で教わったことで、 人が歩く速度は時速5〜10km、自転車の速度は20〜30km。 明らかに人間より早いし、自動車の低速のスピード。。。。 やっぱり危ないよね。

熱の震源地

目標があったとする。 それが個人的なことなのか、グループ単位でのことなのか。 個人的なことでの目標は、いかに自分の熱(勢い)を減らすことなく目標に向かって注力するかがネックになってくる。 グループ単位での目標になると、そのグループ内での方向性への熱量が維持されることがネックになってくる。 そんなこんなで、同じ目標を持つグループがあったので入ってみたら、なんとも「みんなで」という言葉が飛び交い、果ては「どこへ?」という迷走を感じた。 リーダーが居ると、その人に依存する人たちが集合してくる。良いのか?それで。 誰もが「きっとこの人の言うことは正しいから、従っていればいいんだろうな」ぐらいの心地で動くだろう。 でも、仕事のプロジェクトだと考えると、誰かが正しいことを言っても、「最終的に部長がジャッジメントだから、私たちが良いと思っても叶わない…」と、最終ジャッジを放棄する話になる。(責任を負いたくないという問題点も含有する) 先頭に立つ人はある意味熱(目的)の震源地だ。 震源地のリーダーがまず話の火種を付け、その周りにいる誰もがリーダになりうる存在だったら、かなりクオリティーの高い仕事ができる。 今のアメリカ大統領は良い意味でも悪い意味でも「震源地だ」。 良い意味では、「この人やばいよね」と、周りの人たちが団結して「NO」を言える状態ができている。今、これに気づかないでのほほんとしていたらやばいと思う。 悪い意味では「愛国心って素晴らしい。自分たちだけが勝っていれば問題ない。」って思う人たちが多い場合、そこには平和はない。 世界の岐路の選択。 それぐらいの意味があるように思う。 日本がそのアメリカに陰ながら(もうすでにかなりの人がアメリカへの属国ぶりを知ってはいるものの)支配され、私たち日本人が持つ「和」の心を失いつつあると思っている。 日本の震源地、これで良いのか? これ、言い出すと私かなり口が悪くなります。w 美しい日本魂。 ああ、勝海舟とか坂本龍馬とか、良い人は殺されちゃうしなぁ〜w 正しいと思う方へ、美しいと思う方へ、愛ある方へ舵取りしたいものです。 やっぱり物事の中心になる人は居ないとダメなんでしょうね。。。

目利きと想像力

人間観察に最近(ずっと前から?)自信有りのワタクシ。 昔から、初めましての人から感じる”人となりの分析力”があったような気がします。 「ああ、この人こんな感じ」 という感覚。 それはどの分野でもあるのですが、以前大学の頃演劇サークルに居たのですが、 演技をするということに内在する「真実」の表現。 泣いている演技で、ただ泣けば良いということじゃなくて、 その話の中でその役柄の人が感じている「泣く」とシンクロしていることに意味がある。 そこには「想像力」が必要だと思います。 映画も好きで、歌舞伎も好きで、バレエも好きで、美術も好きで、色んなことが好きで…。 それをただ観るのではなく、その映画のその人、その歌舞伎の踊りのうまさ、 バレエの技術と精神性とか、美術作品の技術とその人となりの持つ審美眼の根底。 全ての中に、創造性・想像力を通した表現力が内在していると思います。 で、たまたま見ていたテレビのインタビューで、役者さんが役柄に取り組む姿勢から感じる 「創造性」や「感じる」という行為そのものを理解しているかどうかが気になった。 私の「良いな」という中心核には、もうその人の肩書き、仕事の役割を超えて 人としての創造性や広がりを感じる。 その創造性を理解している人の安心感は、言葉にしなくても感じ取る増幅性がある。 楽しいことが二乗で増えていく。 その逆で、想像力のない人の言葉や行動に「何故?なんなんだ?!」も半端なく理解に苦しむ。 それは、他人が感じていることを自分のことのように「想像する・感じ取る」ことの欠落があるからだ。 話をするときに、自分がこういったら、相手はどう返してくるだろう? そこには想像力がある。 帰ってきた言葉に対してのキャパの大きさもある。 俗に言う「アドリブ」に近いかもしれない。 どんな言葉が帰ってきても対応できる強さは、知識と経験と想像力なのかもしれない。 自分が今まで培ってきたその力が、今すごく財産だと思うし、 この嗅覚で楽しい人を探し出す能力は、自分の宝だと思う。 想像力の源は「興味」。 想像してご覧! その力があったら、戦争なんて起きないから…。 Imagine

心理占星術的解読2(両親問題)

半球の偏りをまず紐解いたところで、つぎは「両親問題」、 父親問題は「土星」で見るのですが、土星が逆行・土星から他の天体へのハードアスペクトがあることで、 父親の不在だったり、機能不全がわかる。 私の場合は逆行ではないけれど、土星から海王星へのオポジションがある。 海王星はクリエイティブの星だけれど、ハードアスペクトがあることで、 「置き去りにされた感」が強調されるらしい。 私としては理想の父が居ないみたいな、暖簾に腕押しみたいな力なさを感じました。 ノード軸は母親問題と関連付けられるのですが、2度半が対象だとほぼない。 けれど、オーブを広めにみると実は月がノードにのっかってますw 冥王星と月とのハードアスペクトもネイタルにはないものの、母親のホロスコープを乗っけると 月にどっかりコンジャクションで乗ってたりしますw この関係は、溺愛or支配的傾向があるので、操り人生を余儀なくされます。 抗うの難しそうです。 そしてノードの支配星は金星と火星(冥王星)。 金星は火星とコンジャクションでノードは確実に緊張感にあふれています。 冥王星はMCにトラインで、逆に何か応援してくれている感がありますが、どうなのやら? 実際のところ、のびのび自分の思ったことをやれていたか?というと、そうでもなかったですw 習い事も、バレエをやりたかったのに「元気だからこれ以上元気になっちゃ困る」 とかでヴァイオリンを習わされました。 (まあ、これはこれでありがたいのですが、私の意思では明らかにない…) なので、ままある程度には、両親軸になんらかの問題はあるような気はしますが、 思っていたよりは大丈夫な気がしますwW
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