奈良でまたまたミラクル天気旅

前回登れなかった三輪山を目指して、またまた奈良に行ってきました。 今回もグレートなミラクル天気な旅でした。 今年の天気は雨続き。 今回もざっくり雨 or 曇りの天気予報。 東京から奈良の道中、足柄あたりで強風と雨。 滋賀あたりでスコール。 もはや天気を望めないぐらい気象が荒れ模様。 山登る時、どうなることやら…。 と、思っていましたが、奈良に近づいたあたりで、右側から太陽がさしてきて、左を眺めるとどんより黒い雲が見えました。 だからとて、明日が晴れるとは限らない…。 奈良駅で明日一緒に登る姉様達と合流して、夜ご飯を。 ちなみに明日は日中に満月での月食が起こるタイミング。 それも多分お山に登ったぐらい。 これはもしや、すごいんじゃないの?と、淡い期待を持ちつつ。 相変わらず雨や曇天で月は見られないだろうなんて思っていたら、ご飯の後、別々に別れた先でなにやら明るい光が…。 見上げたら満月が、絶妙に雲間から顔を覗かせてくれた。 焦ってカメラを向けるも、ほんのちょっとの間に隠れてしまった。 でも、見られて良かった。 朝早く待ち合わせて、車で三輪神社まで行くため、 (私が乗っけるので遅れたら全員遅刻になっちゃうから)早く目が覚めたので、東大寺にふらりと行ってみた。 大学の保養所があったので、うん十年前に来たことがあったのですが、今や近所はカフェやら素敵なお店がずらりに驚く。 東大寺の資料館?も併設されていて、その前にあった大仏さまの手が置いてあったのでパシャりが左の写真。 東大寺は当時正面から見に行ったのではなく、正倉院の真裏にあった宿泊施設からお散歩気分で東大寺に行ったなぁと感無量。 そんなに時間はないので、散歩がてらうろうろ。 そして、鹿の群れ半端ない奈良公園。 一度襲われたことがあり、それ以来鹿恐怖症ですが、油断しなければかわいい鹿達。 三輪山は、写真撮影がNGなので、写真はないのですが、登山口に行く前からなんとなくしとしと降る雨。 登山名簿に書き込んで登る直前には、もはや本降りなのでは?という感じで降り始める始末。。。 これはもう、神頼み。 晴れますようにと、私も祈っていたのですが、他の人たちもそう祈っていたのは同じ思いだから。。。。 初三輪山、であり、久々の登山。 足が大丈夫かなぁという感じで、登り始める。 重い。 自分の体w 何度か登ったことのある同行者に、「まだ?」「まだ?」と聞くこと数回。 その道すがら、なにやら神秘的な霞がかかってきた。 もはや晴れる気がしない。w 思いながらも登り続け、中腹の岩座に到着。 「この岩座以降は足取り軽くなるよ!」 と、言われてまさかぁと思っていましたが、あれだけ重かった足取りが、本当に軽く! なんだかんだで、山頂まで1時間ぐらいで到着。 で、その最中、ちらちらと太陽が覗いていたのですが、 山頂到着と同時ぐらいに パァ〜〜〜〜!!!っと晴れ!! 私たちのお願いがかなったけれど、さすがにこの一瞬ぐらいかもよ〜なんて言いつつも、こんな日の太陽はありがたいし、すごい嬉しい!! 帰りの山道も、軽い軽い。 のも、例の「岩座」まで。 不思議。 ここを境界に上が重力ちょっとおかしいんじゃない?的な。 そして、一緒に言った人曰く、 「いつもはもっと人で混んでいるけれど、今日はいい感じに空いていた」 だそうで、今日は雨が降っていたので、敬遠した人たちが多かったのかも。 私たちのために、わざと雨を降らせて人払してくれたんでしょうか…。 下山しても、燦々と降り注ぐ太陽。 その流れで、ご飯に行って、みんなの希望の神社にGO。 一言主神社 お願い事の仕方があるらしく、それがさも叶いました!というイメージとともにお願いするとのこと。 特に行った時、今後3年以内に叶うらしいと言われたのですが、わたくしめのお願い事は叶うのでしょうか? ちなみに、2023年に…。 高鴨神社 全国の鴨社の総本山。 とても気のいい神社でした。 神社巡りのこの1日はお昼からからからのピカピカの「晴れ!」。素晴らしい! 次の日は天川神社に行く予定で、追加の女性陣と天川で待ち合わせ。 天下は、シトシト。…

5月〜6月のリフォーム作業

お風呂再開を確認したので、恐る恐るですが作業を始めました。 5月〜6月にかけての作業は、 フローリング貼り! リフォームに関しての情報は、事前に図書館とかで色々調べていましたが、 実際その作業に入るのは、なんとも緊張感があります。 作業前に、今回約2ヶ月作業ができない間に、勝手に住み着いた方達が…。 も、もしやこれは…。 巣では!? そう。 小鳥が巣を作っていたのです。。。w 大体1ヶ月ぐらいで巣立つから、大目に見てあげようと、状況を保留に。。。 で、今回の作業でとても役に立ったアイテムが、、 レーザー墨出し器(水平と垂直を教えてくれる)。と、 エアタッカー 最初、釘で打てるのかしら?とエアで板の試し打ちをしてみたところ、 細かい板部分が割れてしまったので、ネットの海で情報をリサーチしたところ、 このエアタッカーが良いということで、急遽近所のホームセンターで購入。 これのおかげで無事板を貼れましたw フローリングは貼り始めがネックだとも書いてあったので、ものすごく慎重に並行出し。 この並行出し、結構時間がかかってしまった。 貼り出してしまえば黙々と作業。 で、そんな間に丸ノコとか、スライドのことかを小鳥の巣の前でギュンギュン使ってたので、 お父さんお母さんが「ジジジィ〜」と威嚇音を出して帰宅を知らせてくれるので、その度にちょっとその場から離れて巣に帰ってもらったりしてました。 なんでこんなに小鳥に気を使うのやら。 親鳥が居ない時にこっそり巣を覗いてみたところ、卵が6つ。 そんな最中。 今まで巣に座っていたお母さんが「居ない!!!」 静かだし、もしや卵全滅!? うるさくしていたし、嫌がられたのかも…。なんて、嘆きながらも、巣を覗いてみたら…。 産まれてた!!! かわいい雛が5羽。 どうも、一つは孵らなかった模様。残念。 案の定、親鳥は雛に餌を取りに行っていたのか、威嚇音を出しつつ帰ってきました。 ちょっとほっと一安心 私の方は貼りに貼ったり。 フローリング面積どれぐらいなんでしょう? 下の写真の倍ぐらいは貼ったでしょうか?(でもまだ2階のみ、廊下も貼ってないし…) そんな最中に、フローリングの差し込みで横から金槌で打っている最中、 指を殴打して、腫れるし…。 多分、少しヒビが入っていたのかなぁ。 病院行くほどじゃないから、湿布貼って治すのですがw 大まか今回貼るべき所は貼り終わったので、養生シートを貼りました。 工務店さんがエコを目指した施工を得意とするので、こちらの大地シートと床男ボードを紙養生シールで覆います。 そういえば、途中で柱にぶつかったフローリングの細かい部分、まるでパズルの一部のような作業もあったかも。 今回は、一階から木材を運んでは金槌で打ち込み、それを繰り返している間に少しヒップアップと二の腕が引き締まりました! 万歳です。 その間にも、作業が煮詰まってきたのでカフェに行ったり、清泉寮にランチに行ったりとか、案の定心が「休め」という指示には忠実に従って頑張ってきました! 次回もなんだかんだ床作業。。。。。お〜〜〜。 基礎代謝があがったのか、帰ってきてからも体重そんなに増えず。(いつもなら速攻太ってましたが) リフォームダイエットw また次回が楽しみです。 写真は、近所のおじさまにいただいた「四葉のクローバー」です(ハート)

万引き家族を観終えて「家族と共同体の違い」

久々にDVDを借りて観た。 一時期は狂ったように借りまくって観ていた気がする。 でも、ある時からふと。 もしかして、パターンがあるのでは? と、気づいてから、大体その内容や筋書きが見えてきて、 大どんでん返しも以外に伏線が前に貼られているのに気づいたり、 おや?ドキュメンタリーとか、現実の方が奇なりで面白いのでは? と、映画を観る量ががくりと落ちた。 で、今回はたまたまただ券が手元にあったので、何か借りようかなと借りてみたもの。 家族とはなんぞや? の疑問符が考えの片隅にあって、いかなる話であろうか?という興味がほんのりあったから、で、観終えて。 誰と誰がどんな関係で、どうしてこのまとなりになったのか、 全員他人なの?一部は血が繋がってるの?とか、いろいろ詳細設定がわからず そこを紐解くのに少し内容への集中力が散漫になってしまったのですが。 映画って、かっこつけの部分が多すぎて、ほんまもんのおじい、おばあの話す内容の力強さとはやはり比べ物にならず。 それぞれの心情の細やかな奥行きは、時間的に説明が難しいのかな?とも思った。 家族問題を取り上げた映画は多々ありますが、今回のは「危うさ(揺らぎ)」の意味があったのかと勝手に思っております。 人と人の関係性の線引き部分。 自分が「家族」だよなと思ったところで、血が繋がっていないという事実は「家族ではない」というある種、線引きになる。 ましてや、お互いが生活を共にするということだけが「家族」の定義でもなく、じゃあ一体「なんなのか?」。 内側と外側。他人の芝生はなんとやら。 これって、「真実の愛」的に、普遍のテーマではなかろうか? それは、それぞれが「個」だから、さも相手を自分であるかのように扱えるか? ということなんだろうか? まったくクローンの同じ人間が生活を共にしたら、円満に解決することなんだろうか? その度に、マルコビッチの穴を思い出すw(結局全く内容のない話でしたがね、こちらは) 「家族」の血のつながりって、その「家族」の何かしらの「テーマ」があるように思っています。 それこそが、家族という共同体であり、見つめなければいけない自分自身の「良いところ・悪いところ」を見つめ修正し、確認するための共同体なのでは?。 子供は親に似る ということは、子供の良いところ、悪いところは、その一族が積み重ねた人格の歴史なのでは?と。 これは心の成長 = 進化!!! 円満な家族ってのがいたとしたら、相当過去の人たちが頑張ってくれたのかもしれない。 最終的に「個」であることを認識(認知)しつつ、「他」を認識(認知)することが、共同体であることには重要なんだよねきっと。 お金がないってこと = 生きていけない って、変な時代になったもんです。 お金のシステムは、一部のヒエラルキーの先端の人たちが、自動的に金儲けをするためのシステムなんですの。 今日、youtubeでそんなビデオを観てからのこの一本で、かなり脳内麻痺を起こしている今日この頃w

言うのとやるのでは全然違う「許し」を考える

毎回問題が持ち上がるたびに、煮え繰り返るマイナスの気持ちを横に置いて、 そこに存在する「テーマ」は何か?を考えます。 今回のテーマは「許し」 スピ系で「許す」ことはこういうことですみたいな文章をよく見ますが、実際じゃあどうすれば良いの?という結構もんやりした理想論な気がしていました。 で、何か問題が起きて、喧嘩になったとします。 それは、常日頃小さな小さな問題が積み重なって、言わなかった言葉や感情が、堰を切ったように吹き出す瞬間。 感情は、抑圧し、表現しないことで強化されると聞きました。 言わないこと、は問題を生み出さないので、喧嘩は起こらない。 でも、言わない様にすることで余計その感情や言葉はフォーカスされて強調される。 自分のことは外から見た人のそれとは違うので、お互いに不平不満は絶対ある。 その「芽」が小さいうちに、冷静に話ができる時に対応できれば、マグマの火山の様に噴火することはないはず。 そして、その喧嘩が有意義だった時と、有意義じゃなかった場合。 有意義な時は、相手に伝えた言葉が、少しなりとも相手に伝わった時。 でも、有意義じゃなかった時は、ただただ自分の正当性に包まって、相手の言葉に耳を傾けず、再び同じような喧嘩が頻発することだ。 私はそれを「負のスパイラル」とか「魂の癖」といっています。 鼻くそをほじる人に、「やめてください」と言ったとして、「鼻ほじるのがなぜ悪い」と言い返すのと似ていて、私にとっては不快な状況なので「不快です」と伝えたとして、相手は「生理現象だし、自然にほじってるし(癖)全然問題ないし」と、相手のことは全く問題外です。 で、私は鼻くそをほじる状況がなくならない。(涙) さらに、状況は色々ある。 愛という名の「束縛・依存」だったり、その逆として、無視や虐待とかとか。 で、そんな状況を「許す」のは結構難しい。 基本、「相手は変えられない」 ので、状況はほぼ変化しないということ。 どうしたらいいのでしょう? まず、自分の中にある感情や言葉を理解し、整理して、相手に伝える。 「伝えた」という事実によって、自分の中にある言葉や感情はリリースできるので、 あとは相手がその「言葉や感情」を理解した、しないに関わらず、問題は「相手」に委ねられた(選択するのはあくまで相手である)ことで「許し」とする。 その後、同じ状況で喧嘩になったとして、努力して「わかって!」ということはもう「無駄」なので、頑張って伝えようとしなくても良いし、本当に困った時は、物理的に離れることも視野に入れたほうが良いかもしれません。 とりあえず、 相手に伝える=許す(リリース) 家族だと、「家族だから」ほっておけない。とかありますが、これもあくまで小さな社会のベースとして、伝えることはきちんと伝えて、どうしてもダメな場合は、手を離すことも大切なのかと思います。 愛情がないとかあるとか、そんな単純な話でもなく、どう考えても人生は「その人自身のもの」なので、その人が良しとすることが自分にとって難しいことだったとして、変えてもらえること、もらえないことはあるかと思います。 全てが全て、思い通りになるなんてことはない。 だからこそ、怒り・悲しさ・嫉妬などの負の感情にフォーカスしないで、きちんと発散させてあげた上で、 もう、関係ないさぁ〜(許す) ということなのでしょう。 逆も然りなので、誰かが自分に放った言葉や感情にもきちんと耳を傾けて、その上で「どちらを選ぶのか」を伝えられれば、それこそが相手も、自分も「許す」ことにつながるのではないでしょうか? そして最後に、その問題にぶち当たったことで、考える余地を与えてくれたその人に「感謝」することで、少し成長した自分を得ることができるかもしれません。

窓の網を作る

月に1度、田んぼに行っているのですが、そろそろ夏本番。 窓を締め切っていると暑いので、車の窓につける網を作ってみた。 まずは、窓の型取りですが、ビニール袋をドアに当てて、油性ペンで枠をなぞり、 それを紙にうつしとって、縫い代をつける。 型紙だけだと実際の取り付けで不明瞭な部分があるので、シーチングで 一度サンプルを作ってつけてみて、 修正部分を型紙に反映。 この網は袋状になっていて、ドアの上からすっぽり被せて、 開いている片方のマジックテープで微調整をするようにしている。 で、網布を縫って、出来上がりがこちら! なんだかんだ、本当は網戸で使う網戸布を使おうと思ったのですが、 縫うのと、メンテナンス(普段の取り外し)がむずかしそうなので、 メッシュ布を使った。 ぴったり! 中から見て、一応それなりに網戸の機能は大丈夫みたい。 実際に使ってみたところ、蚊は多分大丈夫。 でも、コバエは入ってくるサイズだったようで、 フロントガラスに数匹うろうろしてました。 まあ、蚊でなければいいですw それにしても、以外に大変だった。

建築用語

いつも、忘れちゃうのでメモ。 建築用語は、普段使わないので「壁の…」とか「床の…」とかで、つい。。。 「間柱」は壁を張るための柱。 「胴縁」は間柱の補強材。 「まぐさ」は窓・扉の開口部分すぐ上の横材、下に取り付けられた横材は「窓台」という。 「大引き」は、「根太」を支える床下のパーツの一つ。これがないと床が成り立たない。 とりあえずこんなとこでしょうか? それにしても、今年は大波乱で、2020年の電工二種筆記試験は中止になった模様。 実技試験はまだ未定と。。。 大波乱。 もう、心が揺らぎます。 いつ頃あるかないかがわかるのでしょうね?一応身構えておかないといけませんが。。。。

熊野の旅2

朝から豪雨です。 もう、行くのやめちゃおうかな?くらいの豪雨です。 でも、一応これから天気は持ち直す?(ほんとうか?)予定なので、とりあえず向かってみる。 案の定、雨。 そのまま、雨。 で、車から降り立った瞬間、ドド〜ンバリーンと雷が轟く。 危ないと思って、一瞬ひるんで車に乗り込んだのですが、そこから、あら? 雨止んだw またも、傘いらず。 その隙間からまたも差し込む太陽w 無事お参りを済まして、このところの過激な移動で犬も疲れ切っているので、 本題の三輪山を明日に控えているので、体力温存で奈良近辺の道の駅を目指す。 奈良にある道の駅は、ほぼ宿泊できない雰囲気だったので、その先にある大きな道の駅目指してゴー! 早々と就寝を目論むも、ここでもトラックのアイドリングに悩まされる。 トラックだけではなく、バイクもメッカらしい…うるさい 寝たのだか、寝なかったのか?万全ではない体調ながら、朝。 三輪山に向かう。 朝一番で近所に犬を預けて、エジプト仲間と待ち合わせ予定の現地集合場所へ。 と、ややや?!!!!!! これは!!!! 登れない!!!w とりあえず、現地で合流して登山口まで行く。 水を汲めることを事前に聞いていたので、水を汲んでお参り。 その登山口前で、こんな話を。 「なんだか今日の三輪山いつもと違う。ざわざわしてるよ。  だから登れないのかもしれないよ」 いつもは、もっとおだやかな感じらしいのですが、同行の方々は宇宙人系なので、そのザワザワがすごく気になったらしい。 私は背後がわさわさしてましたが、その手のことはわかったようなわからなかったような人なので、ほほうと頷いておりました。 私たちのメインイベントが、最初っからぽしゃったのでw どうしましょうとなったので、まずはその近所の古墳にお参り。 知り合い同士では「あ〜あの」というマニアックな場所。 長居をできるところでもないので、またも、どうしましょう。とw。 ならば、山の上の美味しいお蕎麦屋さんがあるとのことなので、行ってみる。 その真ん前に、これまたマニアックな神社があるので、そちらも参拝しましょうということに。 そばの写真は撮りそびれました。 でも、とても美味しかった。 エジプトから久々の再会だったので、あれやらこれやら、積もる話を話していたら、 あっという間に時間が過ぎ、あまり長居をしていると、お参りできなくなると真ん前の神社にお参り。 笠山三宝荒神神社。 重々しい高野山の雰囲気にも似た、神社でした。 そこから、岩船に。 サイズ感わからないので、同行のAさんが佇んでいるところをパシャり。 かなり大きい。 どんないわれがあるのか、調べてみたのですが、誰もその用途や出処がわからないらしい。 江戸時代の頃にはすでに観光名所だったらしい。 上の方は加工がしてあるのですが、 「覗いてみたいよね」 と、戯れに登ってみようとしたのですが、花崗岩で、表面がツルツルしているので、ロッククライミングの人じゃないと登れません絶対w そして、その脇には「登っちゃだめですよ」の立て看板もありますw はて、そのあとどうしようね?ということで、キトラ古墳に行ってみたのですが、 博物館は入れず、その脇の公園で、またもお茶とお菓子を買って来て女子会。 ただただ、話す。 いろんなことを、ただただ話す。 ただただ話して、それを楽しめる関係って素晴らしい。 公園も夕方しめるらしく、終わりの時間を告げられた。 車に乗り込む前に、 実は、虹彩が見えてたんだよね〜 と、言われたので、「なんで教えてくれなかったの〜!」と言っていたのですが、 隣の車の窓に虹が映っているのを見つけたその友達が、 「空!虹!目的果たせて良かった!」 と、ミラクル天気のお裾分けをしてくれた。 でもね、これ、逆さ虹といって、ちょっと変わった虹だったのです。 なんだか不思議な天気を堪能できた旅でした。 三輪山はまたリベンジです。 その時もザワザワじゃないことを祈ります。

熊野の旅1

コロナで大騒ぎの最中。 全国がコロナで一斉自粛にかかる直前。 そんなこととはつゆ知らず、三輪山に登ろうということで、奈良エリアに行ってきた。 車旅は結構遠い。 一気に道中を制覇するのは難しいということで、サービスエリアに車中泊を試みたのですが、自分の土地で車中泊はあるけれど、外で電源なしの車中泊は初めてだったので、まず何が大変だったかというと、トラックのアイドリング音。 あまりにうるさいから、「トラック、アイドリング、うるさい」とか調べてみたところ、どうも冷凍車はエンジンを止めることができないらしく、終日夜だろうが朝だろうが、エンジンつけっぱなしなのだとか。 今までが極楽のような車中泊だったので、これはいかんということで、下道に降りて道の駅を探す。 くらい。くらいよ。 見つけた道の駅は、すごく静かだった。 ビクビクしながらカーテン閉めて寝ていたら、車の中を覗くおじさんたちの声。 「寝てんじゃね? 東京のナンバーだし、寝てんじゃね。」 怖いから寝てるふりしました。 道の駅は、地元の人が警備をしているようです。 他のところでも、少し注意が必要かもしれません。 でも、静かなので犬共々そのまま就寝。 朝起きたら目の前にはどでかい水車がありましたw。 なんとも清々しい。 ちょっと高度が高いのか、肌寒かったもののお散歩にはちょうどいい。 鳥の声も耳に清々しい。 そんなこんなでいざ出発。 最終目的地は三輪山ですが、ずっと念願だった熊野の那智の滝や熊野大社、天河神社などを巡ることに。 なんだか不思議な天気。 行く前から「雨」とは聞いていたので覚悟はしていたのですが、伊勢あたりで激しい豪雨。 それも、前が真っ白で見え無いくらいの激しい雨。 握るハンドルが恐怖な真っ白雨。 今日はお参りいけないかもなぁ。と、思うぐらい。 と、思っていたら、スコッと現地に着いたら雨は止み、空が晴れてきた。 ラッキーです。 そして、雨のおかげか、現場は人っ子一人いない。 降りた先にあった素敵石にお参りして、いざ那智の滝! 素敵! 素敵です! 一本滝は男滝と言われることが多いですが、この滝はたおやかな若い男性でもあり、凛々しい女性のような、中性的な感じがします。ハラハラとたなびく水しぶきが本当に美しい。 その近くにある那智大社へお参りに。 その脇に、神木の楠があるのですが、枝ぶりも素晴らしい。 本体に空洞があるらしく、胎動巡りができるので、入ってみました。 そこはトトロの穴でした! そっくり! ご神体の喜びより、トトロの穴に入れた感激で一人大騒ぎ。w そんなこんなで、お参り中は雨が止み、傘いらず。 まだ時間はありそうだったので、熊野大社を目指す。 自分の氏神さんが熊野大社なので、いつか本宮に行きたいなぁと思っていたので、これも念願叶った感じ。 その近所にもゆかりの神社や土地があるので、見て回ったのですが、 その昔、熊野大社は三つの河の交わる中洲にあったらしい。 イシス神殿といい、江ノ島といい、自分のゆかりのある神社は、なにやら水と関係した(囲まれた?)ところが多い気がする。 これまた、まだ時間がありそうなので、位置的に戻るのはアホっぽいので、そのまま天河神社へ。 今のところ、道中の途中は雨が降るものの、お参りの際中はすべて雨が止む。 素晴らしい。 たまにすごい厚い雲の隙間から、絶妙なスポットライトのような太陽が、ピンポイントで降ってくる。 素敵。 ここも、道中雨だったのが傘がなくても大丈夫な天気になり、天河さんの階段を登り始めたら階段の先から太陽がサァ〜っとさしてきて、神秘的。 前にきたときも、不思議天気を経験していたものの、今回も何やら天気との不思議シンクロがありそう。 (ちなみに、前回は雲海が出て、なくなり始めるその川の上に、大蛇のように白い雲が川に沿ってうねうねしていたのを見られました) そして、前回きたときは気がつかなかった?のですが、天河神社のどこか?で、水があふれたときに見つかった文献から、そのそばにある高倉山も実はご神体だったことが判明したらしく、今は「禊殿」として祀られている。 そちらも参拝。(ちょっとわかりずらく、途中迷うw) 帰り際、山の上が気になって見てみたら、ん?! すごく大きな岩がある? 日本はここかしこに岩がご神体の神社ありますが、これももしかしたらご神体では? (写真だとわかりずらい) そして、この日はここで打ち止め。 その先にある以前に行った温泉を目指す。 が、よりによって、定休日…。チーンです。 しょうがないので、その近くのスーパー温泉目指す。 温泉入って、道の駅にで宿泊。 明日は、いつもお参りに行っている、生丹売姫神社に行くのでした。

「小公女セイラ」大人になって見てみると

久々にハウス食品アニメ 「小公女セイラ」を見直しました。 子供の頃観た時も、落ちぶれた主人公セイラへの対応がひどいなぁと思ったものの、今のほうがより「お金」の恐ろしさを感じましたw。 セイラという人物が、お金があった上で何不自由なく過ごし教育を受けたからこそ、人としての余裕があったのでしょうが、お金があってもそれを妬んで意地悪をしたりするお金持ちの子供もいるわけで、その違いって何でしょう? それは、ひとえに「教育」の部分かと。 全員が全員、お金があろうがなかろうが、いい人はいい人だし、悪い人は悪い人で、 その話の中で救いの手をさし延べる人たちはたくさんいた。 その分かれ目は、「人の境遇に心を寄り添えることができるかどうか(イマジン)」だ。 映画「ジョーカー」も、お金にまつわる分断で、争いは起きるわけで、 (実は怖くて観てませんけど)貧しいとて、誰か一人でもその境遇に寄り添うことができれば、 救いはあるわけで、お金持ちでも実は寂しく心が飢えているからこそお金にしがみついている人もいるわけで。 自分でまず、自分を認識し自覚し、救えるかどうか。 そこから世界は見えてくる。 この手の子供のアニメシリーズで、最終的にこの小公女セイラは「救い」があった。 死にそうになっても、自分の正しい道を貫き通した。だからこそ、その手にしたお金が生きてくる。 フランダースの犬は、辛かった。。。 でも、大人になってわかるのは、幸も不幸も、希望も絶望も、生きるも死ぬも、最後まで生き抜いた時に、「命とはなんぞや?」の結末が待っているのだと思いました。 子供向けだからといって、話をハッピーエンドで終わらせてしまうことの脆弱さ。 「何故?」 「どうして?」  を突きつけられて、考えること。 これは本当に大切なことなのだなぁと、すべての人間、映像、文章、etcに散りばめられた「きっかけ」に興味津々、感謝感激な今なのです。 関係ないですが、セイラの話の後半戦、隣の召使いのインド人の人が、2mくらいの窓から降りたり登ったり、不法侵入も去ることながら、水戸黄門の飛猿ですか!?くらいのジャンプ力に驚きました。 インド人はターバン巻いてるとか、「ナマステー」とか、それは違うのでは? とか、大人目線のツッコミは、子供には秘密で。

4月のリフォーム作業

本当だったら、フローリングをはりはじめて、うまくいったら2Fは終わってたのになぁ。 とうとう、近所のお風呂が全て閉まってしまった。。。。 うぉ〜〜〜〜! これは手痛い。 煙突の屋根工事(外部)は、どうしてもスケジュール的に伸ばせないので、業者の方にお願いしているものの、立ち会う予定でしたが、東京に帰ってきました。 人と全く会わないので、私自身はまったく問題なしなのですが、風呂がないのは困る。 社会って右向け右なんですね。 しょうがない。
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