2021年1月〜5月のリフォーム

いやはや。長いこと更新滞っておりました。 作業は淡々と過酷w やってもやっても、やっても…。 でも、一つ一つ頑張っておりますぞ! ということで。 やったこと一覧。 フローリング端の貼り直し ストーブ周りにボードを貼って柿渋塗る これに関しては、胴縁で柱から数センチ(24mm)空間を空けて、その上にボード(モイス)を貼るのですが、理由は、ストーブから出るなんとか線が柱をスカスカにする要素があり、それを阻害するために断熱材としてボードを貼るのだそうです。 そうしないと柱が痛む。 2F天井の下地 打ちに打ったり。釘。 柱の穴を埋める 壁がはまっていた穴を木材で埋めて、面一で削って柿渋を塗る。 これは柱の強度を保つために必要だと施工業者の方に言われてやるつもりですが、これからもこの作業が続きそうw 大変。 ストーブ周りのため一部床を削り蜜蝋ワックス塗り ストーブの炉台を作るために、先に床を塗らないといけず。 全部と思っていたら、そんな時間がなくなって、とりあえず一部を急ぎ作業で。 ストーブ炉台 煙突から右側にストーブが来るので、その部分は大谷石、左側はモルタルと思っていたのですが、やはり時間がなくw コンクリートの板って思っていたものの、重すぎてホームセンターにあったタイルを置いたのですが、これが以外にかわいかった! 残りの床を削ってワックス塗り 辛い…。1日中マスクでゴリゴリゾリゾリ。ホコリが頭から降り注ぐ。周りもホコリだらけ。でも、おかげさまで二の腕と腕の筋肉強化。少し締まるw DIYダイエットと呼んでます。 と、そんなところでしょうか? その途中で、知り合いの庭の畑手伝ったり、多年草稲栽培の仲間と田んぼ作業とか、遊びに行ったりとかw 色々ありつつ、大変ながら息抜きしながら楽しくやってるような気がします。 まだまだ作業は続くけれど、一つ一つ。丁寧に、こだわりすぎず。 そろそろ、お手伝いの人を募集できるようになるかも。これはこれで楽しみ!

11月〜12月のリフォーム

寒くなってきました。 それはまあいいとして、だんだん日が短くなってきて、作業時間が少なくなってきたことが気になります。 夏の朝から晩まで作業できる感じではないので、夜に使えるライトを入手。 明かりをつけないと、暗い。 とにかくくらい。 気分が落ち込む。 北欧の人が冬に鬱になりやすいというのは本当ですw そして、明かりをつけて作業はできても、そのほかのところは真っ暗。 全体が明るくないということの不便さたるや、この上なし。 そして、なにより「寒い!」 まだ寒さも序の口なのですが、気をぬくと水道が凍ります。 くれぐれも寒いのが苦手なのに、何故この地に?!ですw ひどい時はマイナス10度くらいになります。(いや、もっとかな?) まだまきストーブが無いので、さらに隙間風が身にしみます。 今回やっとこさ浄化槽がつきました!! 待ちに待ったアイテムです。 で、うちは通常の浄化槽と、もう一つ微生物でほぼほぼ自然と同じサイクルで浄化してくれる浄化槽「あ・うんユニット」なるものを導入したのです。 これは、好気・ 嫌気の微生物をブロアーで管理することで、通常の浄化槽がブロアーだけで管理されるところを、フォローしています。 うちは上水・ 下水共に無いので、自分のところでオフグリッドに管理しなければいけません。 この建物を気に入ったのも、どうしたら環境に優しい暮らしができるのだろう?と考えたからです。 自分の出すゴミ、水、色々に責任を持つ。 そのスタンスに慣れて東京に戻ってくると、本当に無責任にゴミも出せば、トイレもジャージャー流すよなと思います。 そして、こちらがその浄化槽。 穴の中にはたくさんの微生物が餌(私たちのアレ)を待っております。 でも、ご機嫌があるので、ちょっとした動物を飼っているみたいです。 マメじゃ無い人は向か無いかもしれません。 一ヶ月に1回は中の状態をチェックしなければいけません。 沈殿層と、その上澄み、この状態が良いみたいです。 で、今回の作業は天井が主でした。 でも、だんだん作業自体に慣れが出てきていて、テンション上がりませんw 前は「この作業新鮮!!」と、嬉々として作業できていたのですが、大体やることがルーティーンになってくるとどうやってその作業を面白くするかがネックになってきます。 なので、たまにお茶しに行ったり、景色を見に行ったり、音楽聞いたり、映画を流してみたり。 でも、最終的には「気合」が一番のようです。 日々、どうしたら?、あ〜したら!と、作業効率をアップするために、グッズ開発したり導入しておりますが、今回はこの人たち! これは、1820cmの5分割の印をつけるのに使っている便利アイテム。 一気に印をつけられるので便利。 その印のところに野縁といって、天井の木材を釘で打ち付けていきます。 写真左は、たまに計算間違いをして切ってしまった野縁が寸足らずでそれを向かいで支えてくれるひと。(この字になってます) それまではただただ、ひたすらに手で握って釘を打っていたのですが、劇的に楽に。 そして、右は、間柱の横、胴縁をつける時に役立つアイテム。 これで下を支えながら釘打ちすれば同じ寸法でどんどん積み上がる。 でも、間違うとどんどん間違った寸法になるので、最終的には1820cmのボード端がこの木の棒に支えられ無いと、全く意味の無い代物になってしまう…。以外に気を使う。 あと、関係無いアイテムとして、ガスボンベで動く、ファンヒーター! これがなかなか素晴らしいアイテムで、電池も、電源も無くて、自動で発電してその電気でファンの温風を運んでくれます。 今までは、風の出無いガスボンベのストーブを使っていたのですが、あったまる速度が格段に違う! 素晴らしい!! コードいらずなので、どこでも使えます。 何はともあれ、日々の中で織り成される自然の美しさは、やはり東京に居ては味わえ無い素晴らしさです。 何度見ても、何回見ても新鮮な気持ちで感動できる。 本当に自然の美しさにかなうものはありません。 今年はコロナで大騒ぎの1年でしたが、また違った意味で新年も色々な物事が起こるかと思いますが、どのように生きるのか?をきちんと把握して、楽しく、明るく前に進んでいければ良いですね。 一年の年神様に、本年ありがとうございました。 また来年もよろしくお願いいたします。です!

9月〜11月のリフォーム

気がつけばもう11月。 東京と山梨を行ったり来たりしていますが、写真を撮るのも、それを記録としてブログに載せるのも結構時間がかかりなかなか作業ができておりませんが。 怠るとさらに増えるので、今のうちに。 9月 床下の通風口から、寒い時期に虫がガンガンに入って来るので、それを阻止するべく金網で蓋を作ってみました。 通風口の縁が金属でできているので磁石付きで作ったのですが、はめてみるとあまり意味なし。 でも、おかげさまでぴったりはまってよかった。 二階の壁に断熱材を詰める。 この断熱材は、羊毛とポリを含むリサイクル断熱材。 羊毛100%とか(限りなくそれに近いもの)は、もったいないのと、多分へたるのでは?と思って、こちらにしてみたのですが、お値段も、使ってみてのそれも意外によかった。 入れただけでなんだかその部屋だけ暖かく感じるのは多分気のせい…。 間柱の間に胴縁をつける。 本当はプレカットといって、新築だと工場でパコッとはめられるようになってくる簡単な方法があるのですが、私の場合、リフォームなのでいろいろ歪みがあり、寸法がバッチリでは無いので一本一本測っては打ち付けるのですが、これまた微妙に違ったりもするので、端材を作って打ち付けて、その上に胴縁を乗せて打ち付けるという、半端ない一手間が浮上。 慣れればもっと簡単な方法がある気がしますが、とりあえずこの時はこの阿呆な手法で乗り越えました。 ちょっと見えづらいのですが、葉っぱに隠れて小屋が建ってます。 過去の遺物。 井戸の残骸小屋があったのですが、重機が来て撤去してくれました。 人間がやるよりも数段早く撤去されていきます。 今の私にとって「早い」ということが、頼もしく感じます。(でも、時間があったら自分でやってもよかった。だってやってもらうと高いんだもの) そして、そろそろトイレ導入のために、二階のトイレ周りをやり始める。 10月 いよいよ浄化槽が取り付けられることに。 浄化槽を取り付ける前に、以前あった浄化槽を撤去するために掘り下げたら、それがかなり今時のサイズとは異なって巨大だったそうです。 私は、どのサイズが大きいのか見当がつきませんが、かなり気張って取り付けたようです。 余談ですが、間違って浄化槽に人間が落ちちゃって死んじゃうと、バクテリアで溶けちゃうそうですw 怖いですね。 浄化槽は穴を掘って、その下を平らにしてから本本体を乗せて、その蓋の周りをコンクリで整地をして出来上がり。 この浄化槽を作ってくれたおじさまは、浄化槽設置の達人?なので、とても見ていて安心の作業でした。 これはさすがに素人ではできません。 そして、井戸設置にあたり、井戸に電源を届けなければいけ無いのですが、地中埋設の穴を一直線に掘ってもらいました。 これまた素人では中々難しい。 トイレの天板もつけて、壁もつけ始めました。 1階、元お風呂場。 段差があって、かなり苦戦するも、一応塞ぐ。 断熱材も入れているので、少しは断熱になるか? 少しずつ壁が整ってくると、室内っぽさを感じます。 お風呂と、手洗い場の天板をつけました。 あくまで足をつけたく無いので、間柱や胴縁でしっかり補強。 結構あった木材もカラカラになったかとおもったら、次の木材が。 これがだいたい埋まれば道の半ばかなと思ってますが、やることはまだまだ。 ちなみに、これはフローリング材と胴縁、野縁材。 床下の点検口を整備。 引っかかる枠を組んで、その上に配置ようの枠とあら材の床材を設置すれば、完了。 フローリングを貼った時にその材に床を接着します。 配管も整ってきたので、水が一部分、使えるようになりそう。 まだ安心ならず。 なぜなら冬を迎え、その付近の壁がまだ吹きさらしになっているから。 工務店さんが、壁の業者にきちんと話を伝えているのかいないのか…。 工務店さん、去年?今年?だっけですか、壁塗ってもらうのにすごく時間がかかった。 自分でやればよかったとあとで結構悔やんだ。 そのせいで数ヶ月待たされたのですよ。はい。(作業自体は2週間…塞がなければいけ無いところ塞いでないし…) まあ。私の作業内容からすると、それで良いと思われたのでしょうがないのですが…。 「手順や、レクチャーしますよ!」 なんて言われたけれど、ほぼ自力な気がします。 やる前に色々予備知識入れておいてよかった。 そんなこんな、苦労や色々ありますが、その合間に見られる自然の景色に癒されて、やっぱりここが好きだなぁと思って踏ん張れます。

仕事は人間との付き合い方の縮図(家族もしかり)

何かを作るとき、自分だけで完結する仕事と、人と関わらないとできない仕事がある。 自分だけで完結の仕事も、最終的には誰かが関わってくる仕事。(売ったり、サービスだったり) でも、人と関わらないといけない仕事は、それぞれの「考え」の違いをどれだけ同じ意識に持ってくるかが難しい。 (コストとか制限もかかってくるので、それなりの限界もあるけれど、その中での越えるべき上限) 勝手に相手の「考え」だと思って動いて、実はその人の「考え」とは違うことだってある。 ましてや、クライアントと仕事の受け手の立場だと、立場の上下が存在して、最後の一手でぐるりとちゃぶ台をひっくり返されることもある。 でも、それはクライアントがその時、それをやることで「改善される」とか「よくなる」という思いでひっくり返した時は、結果として出来上がった物事で、お互い納得ができる。(お偉いさんの意見でくつがえった仕事は、大概うまくいかないけれどw) それが逆でもそう。 クライアントがどんなに熱く「いいもの」を望んでも、その仕事の受け手のテンションが低かったり、無駄に動きたくないとか、一緒にいいものを作ろうという意識がなければ、いいものはできない。 いいものを作る為には、引き出しの多さ、少なさも関係しているかと思う。 最終的な目標は、最初はエベレストのように高いかもしれない。 その度に、壁にぶちあたり、最終的には近所の山レベルになるかもしれない。 でも、その中で最善の対処を臨機応変に進める中で、小さい山でも美しい小さな草花を植えることで、エベレストのように美しい山の景観を作ることはできるはず。 一番大切なことは、やっぱり人とどれだけコミュニケーションが取れる関係かということ。 言われたことをそのままやりました。的な人がいたとする。 出した答えは確かに「正解」。 でも、それは料理だとして、同じ食材でも「おいしくなあれ」と思った人と、「作ればいいんでしょ」と作った人との味の違いぐらい差がある。 言われた通りの一歩先が、本当は「正解」なのではないかしら? 必要以上に答えに媚を売る必要性もなければ、ただちょっとだけ先を見ながら「おいしいもの」、「楽しいこと」を作り出せるのは、相手のことをどれだけ「思っているか?」だと思う。 自分がこれまでやってきた仕事のスタンスとして、多分私は相手の「意図」を汲み取って、相手の目線で仕事をしてきたと思う。 当たり前だったけれど、本当にこれができる人がものすごく少なくて、自分のことしか考えられない人が多いことに気がついた。 絵心のないクライアント・イメージ先行で具体的な意見の出せないクライアントと、ものづくりバリバリの人との仕事は全然違う。 出来上がるものへの最終形態の上限の伸び代は、ものづくりの人との仕事の方がよりクオリティーが高くなる。 そして、もし、間違っていたら、「間違ってます」、こうした方が良い時に「こうした方が良い」と言える関係。 でも、言ってくれる人はものすごく少ない。 だから、つい、人に仕事を頼むのが「面倒」になって自分でやってしまう癖がある。 相手への信頼は、「言ってくれるか、言ってくれないか」が一番かもしれない。 技術的な成長は、やれば伸びる。 でも、考えや心の成長、関係性を改善する技術は、人それぞれ成長の速度が違う。 明らかに、「わかってないなぁ」という人と仕事をする時に、粘り強く「こうしてほしい」を伝えることは、エネルギーが1.5倍増しで疲れる。 あと、適当に言葉を話す人も、その言葉の無責任さに驚愕する。 汚れてたから「掃除します」と言ってたのに、いつまでたっても掃除しない人みたいな。。。(そして、やったら盛大に威張るとかw) どの仕事、どの家庭、どの人間関係でも、やっぱり突き詰めると 「利己」なのか「利他」なのか 自分のことをおろそかにすることではなく、関係が生じた時にお互いの方向からの目線でより良き選択ができること。 その部分、とても大事だなぁと。 リフォーム案件で、多分自分が言っていることを「そのつど変わるな…」と、思われているのだろうと思ってます。 でも、逆に全体の中で、今そこを変更しないと「まずいな」という考えで言っていることは確か。 自分の中で確証がないこと、選択肢があるならば、立ち止まって考えたい。 自分が理解してできればもっと早く仕事が進むのになぁ…。と、 人に何かをお願いすることの難しさを感じる今日この頃。

8月のリフォーム作業(若干前後分含む)

悲しい出来事の直後でも、やることはやらないといけない。 体を動かしていれば元気なのですが、立ち止まると涙が出ます。 気分が落ち込みがちなので、そういう時は頑張ってもしょうがない。 気分転換を測りながら、うちのかわいい犬に思いを馳せながら、少しずつ作業を進めました。 床の段差をのこぎりで調整(1) 床の段差をのこぎりで調整(2) 新規床1(階段部分)大引を取り付けて、荒板を貼り付ける。 新規床2。床下側から断熱ができないので、透湿シートをしいて、羊毛の断熱材を詰めて荒板を貼り付ける。 新規床3。コンクリートなので、下から断熱ができないので透湿シート→羊毛断熱→荒板作業 新規床4。謎の押入れ。ここも下から断熱ができないので透湿シート →羊毛断熱 →荒板作業(工程撮り忘れた) 新規床5。玄関。下から断熱できなさそうなのに断熱せず…。これが今後どうなるのか…。 床の高さを合わせるので、荒板を敷き詰める。 あまり代わり映えしないかもですが、敷き詰めるとあとはフローリング敷くだけと思うと、ちょっとテンション上がります。 壁塗装が終盤戦に。 やっと、やっと、足場が取れます。 長かった…。 どれだけ待ったか…。 これでやっとライフラインが進みます。。。 足場もすっきり。 久々に廻りだけすっきりと新品な外観が見えました。 もうちょっと早く取れるかなと思っていたので、結構自分を奮い立たせるのが大変。 まだまだ先は長い。 本当にやりたいことは。ここが落ち着かないと何も進まない。 去年の作業を見ていると、どんどんスキルも上がっているので、作業は早くなるはず。 頑張ります。

愛を運んでくれた人

「ヒト(人)」という表現は間違っているかもしれませんが…。 先日、我が家の愛犬が天国に旅立った。 あまりにも突然で、いろんなことが重なって最後の引き金が自分だったこともあって、ちょっとPTSDみたいになってしまった。 動物は、そばにいる時はその存在自体が当たり前すぎて、彼らがどれだけいろんなギフトを私たちに送ってくれていたのか全く気づかない。 特に、どれだけ愛を送ってくれていたのか、いなくなって気づいた自分を情けなく思った。 死というものが、円満なことは少ないのかもしれない。 こっそり、ひっそり亡くなる子もいれば、うちみたいに腕の中で劇的に亡くなることもあるだろう。 どんな亡くなり方でも、亡くなってしまうと「あーすればよかった、こーすればよかった」と、後悔しか頭に浮かばない。 その後悔や、悲しみから逃れようと、体がすっぽり記憶の空白を作ってしまった。 そんなこんなで泣けないということが、余計懺悔の気持ちに拍車をかける。 涙は出ないのに、ひどく悲しい。 こんなにも、愛していたし、愛されていたこと、彼が居たことでどれだけ豊かな時間を過ごせていたのか。 大変なこともたくさんあったし、怒ったこともたくさんあったけれど、あまりある素晴らしい心の経験をさせてもらったと思う。 でも、これでいいのかしら…? こちらの世界の人が悲しんでいたら、旅立った人たちは、きっと悲しむだろう。 でも、そんな簡単に「悲しい」を手放すことはできない。 「悲しい」ってなんだ? とあるサイトに 悲しみは、無くなったものへの感謝の気持ちを伝えるためにある と、書いてあった。 だから悲しめるということは、それだけ想っていた、感謝していたということなのだ。 だからこそ、悲しみという方法で愛や感謝を伝えるのではなく、悲しみを手放した上で前を向いて感謝や愛を伝えればいいのだと思ったら、少し肩の荷が降りた。 悲しいをゼロにはできないけれど、悲しくないってこともできる。 最後の最後に、凄いことを教えてくれたうちの愛犬に、これからも愛と感謝を送りたい。 少しずつ、元気になろう。 そして、また会えるかもという希望を込めて。 ありがとうと伝えよう。 追伸: 悲しい時には思いっきり泣いた方がいい。    泣かないでいると、心の奥に詰まった悲しみという石ころが、ドンドンたまる。    感情は解放することで少しずつ癒えるように思った。    今はただ、泣いて悲しみを手放して、力に変えよう。

奈良でまたまたミラクル天気旅

前回登れなかった三輪山を目指して、またまた奈良に行ってきました。 今回もグレートなミラクル天気な旅でした。 今年の天気は雨続き。 今回もざっくり雨 or 曇りの天気予報。 東京から奈良の道中、足柄あたりで強風と雨。 滋賀あたりでスコール。 もはや天気を望めないぐらい気象が荒れ模様。 山登る時、どうなることやら…。 と、思っていましたが、奈良に近づいたあたりで、右側から太陽がさしてきて、左を眺めるとどんより黒い雲が見えました。 だからとて、明日が晴れるとは限らない…。 奈良駅で明日一緒に登る姉様達と合流して、夜ご飯を。 ちなみに明日は日中に満月での月食が起こるタイミング。 それも多分お山に登ったぐらい。 これはもしや、すごいんじゃないの?と、淡い期待を持ちつつ。 相変わらず雨や曇天で月は見られないだろうなんて思っていたら、ご飯の後、別々に別れた先でなにやら明るい光が…。 見上げたら満月が、絶妙に雲間から顔を覗かせてくれた。 焦ってカメラを向けるも、ほんのちょっとの間に隠れてしまった。 でも、見られて良かった。 朝早く待ち合わせて、車で三輪神社まで行くため、 (私が乗っけるので遅れたら全員遅刻になっちゃうから)早く目が覚めたので、東大寺にふらりと行ってみた。 大学の保養所があったので、うん十年前に来たことがあったのですが、今や近所はカフェやら素敵なお店がずらりに驚く。 東大寺の資料館?も併設されていて、その前にあった大仏さまの手が置いてあったのでパシャりが左の写真。 東大寺は当時正面から見に行ったのではなく、正倉院の真裏にあった宿泊施設からお散歩気分で東大寺に行ったなぁと感無量。 そんなに時間はないので、散歩がてらうろうろ。 そして、鹿の群れ半端ない奈良公園。 一度襲われたことがあり、それ以来鹿恐怖症ですが、油断しなければかわいい鹿達。 三輪山は、写真撮影がNGなので、写真はないのですが、登山口に行く前からなんとなくしとしと降る雨。 登山名簿に書き込んで登る直前には、もはや本降りなのでは?という感じで降り始める始末。。。 これはもう、神頼み。 晴れますようにと、私も祈っていたのですが、他の人たちもそう祈っていたのは同じ思いだから。。。。 初三輪山、であり、久々の登山。 足が大丈夫かなぁという感じで、登り始める。 重い。 自分の体w 何度か登ったことのある同行者に、「まだ?」「まだ?」と聞くこと数回。 その道すがら、なにやら神秘的な霞がかかってきた。 もはや晴れる気がしない。w 思いながらも登り続け、中腹の岩座に到着。 「この岩座以降は足取り軽くなるよ!」 と、言われてまさかぁと思っていましたが、あれだけ重かった足取りが、本当に軽く! なんだかんだで、山頂まで1時間ぐらいで到着。 で、その最中、ちらちらと太陽が覗いていたのですが、 山頂到着と同時ぐらいに パァ〜〜〜〜!!!っと晴れ!! 私たちのお願いがかなったけれど、さすがにこの一瞬ぐらいかもよ〜なんて言いつつも、こんな日の太陽はありがたいし、すごい嬉しい!! 帰りの山道も、軽い軽い。 のも、例の「岩座」まで。 不思議。 ここを境界に上が重力ちょっとおかしいんじゃない?的な。 そして、一緒に言った人曰く、 「いつもはもっと人で混んでいるけれど、今日はいい感じに空いていた」 だそうで、今日は雨が降っていたので、敬遠した人たちが多かったのかも。 私たちのために、わざと雨を降らせて人払してくれたんでしょうか…。 下山しても、燦々と降り注ぐ太陽。 その流れで、ご飯に行って、みんなの希望の神社にGO。 一言主神社 お願い事の仕方があるらしく、それがさも叶いました!というイメージとともにお願いするとのこと。 特に行った時、今後3年以内に叶うらしいと言われたのですが、わたくしめのお願い事は叶うのでしょうか? ちなみに、2023年に…。 高鴨神社 全国の鴨社の総本山。 とても気のいい神社でした。 神社巡りのこの1日はお昼からからからのピカピカの「晴れ!」。素晴らしい! 次の日は天川神社に行く予定で、追加の女性陣と天川で待ち合わせ。 天下は、シトシト。…

5月〜6月のリフォーム作業

お風呂再開を確認したので、恐る恐るですが作業を始めました。 5月〜6月にかけての作業は、 フローリング貼り! リフォームに関しての情報は、事前に図書館とかで色々調べていましたが、 実際その作業に入るのは、なんとも緊張感があります。 作業前に、今回約2ヶ月作業ができない間に、勝手に住み着いた方達が…。 も、もしやこれは…。 巣では!? そう。 小鳥が巣を作っていたのです。。。w 大体1ヶ月ぐらいで巣立つから、大目に見てあげようと、状況を保留に。。。 で、今回の作業でとても役に立ったアイテムが、、 レーザー墨出し器(水平と垂直を教えてくれる)。と、 エアタッカー 最初、釘で打てるのかしら?とエアで板の試し打ちをしてみたところ、 細かい板部分が割れてしまったので、ネットの海で情報をリサーチしたところ、 このエアタッカーが良いということで、急遽近所のホームセンターで購入。 これのおかげで無事板を貼れましたw フローリングは貼り始めがネックだとも書いてあったので、ものすごく慎重に並行出し。 この並行出し、結構時間がかかってしまった。 貼り出してしまえば黙々と作業。 で、そんな間に丸ノコとか、スライドのことかを小鳥の巣の前でギュンギュン使ってたので、 お父さんお母さんが「ジジジィ〜」と威嚇音を出して帰宅を知らせてくれるので、その度にちょっとその場から離れて巣に帰ってもらったりしてました。 なんでこんなに小鳥に気を使うのやら。 親鳥が居ない時にこっそり巣を覗いてみたところ、卵が6つ。 そんな最中。 今まで巣に座っていたお母さんが「居ない!!!」 静かだし、もしや卵全滅!? うるさくしていたし、嫌がられたのかも…。なんて、嘆きながらも、巣を覗いてみたら…。 産まれてた!!! かわいい雛が5羽。 どうも、一つは孵らなかった模様。残念。 案の定、親鳥は雛に餌を取りに行っていたのか、威嚇音を出しつつ帰ってきました。 ちょっとほっと一安心 私の方は貼りに貼ったり。 フローリング面積どれぐらいなんでしょう? 下の写真の倍ぐらいは貼ったでしょうか?(でもまだ2階のみ、廊下も貼ってないし…) そんな最中に、フローリングの差し込みで横から金槌で打っている最中、 指を殴打して、腫れるし…。 多分、少しヒビが入っていたのかなぁ。 病院行くほどじゃないから、湿布貼って治すのですがw 大まか今回貼るべき所は貼り終わったので、養生シートを貼りました。 工務店さんがエコを目指した施工を得意とするので、こちらの大地シートと床男ボードを紙養生シールで覆います。 そういえば、途中で柱にぶつかったフローリングの細かい部分、まるでパズルの一部のような作業もあったかも。 今回は、一階から木材を運んでは金槌で打ち込み、それを繰り返している間に少しヒップアップと二の腕が引き締まりました! 万歳です。 その間にも、作業が煮詰まってきたのでカフェに行ったり、清泉寮にランチに行ったりとか、案の定心が「休め」という指示には忠実に従って頑張ってきました! 次回もなんだかんだ床作業。。。。。お〜〜〜。 基礎代謝があがったのか、帰ってきてからも体重そんなに増えず。(いつもなら速攻太ってましたが) リフォームダイエットw また次回が楽しみです。 写真は、近所のおじさまにいただいた「四葉のクローバー」です(ハート)

万引き家族を観終えて「家族と共同体の違い」

久々にDVDを借りて観た。 一時期は狂ったように借りまくって観ていた気がする。 でも、ある時からふと。 もしかして、パターンがあるのでは? と、気づいてから、大体その内容や筋書きが見えてきて、 大どんでん返しも以外に伏線が前に貼られているのに気づいたり、 おや?ドキュメンタリーとか、現実の方が奇なりで面白いのでは? と、映画を観る量ががくりと落ちた。 で、今回はたまたまただ券が手元にあったので、何か借りようかなと借りてみたもの。 家族とはなんぞや? の疑問符が考えの片隅にあって、いかなる話であろうか?という興味がほんのりあったから、で、観終えて。 誰と誰がどんな関係で、どうしてこのまとなりになったのか、 全員他人なの?一部は血が繋がってるの?とか、いろいろ詳細設定がわからず そこを紐解くのに少し内容への集中力が散漫になってしまったのですが。 映画って、かっこつけの部分が多すぎて、ほんまもんのおじい、おばあの話す内容の力強さとはやはり比べ物にならず。 それぞれの心情の細やかな奥行きは、時間的に説明が難しいのかな?とも思った。 家族問題を取り上げた映画は多々ありますが、今回のは「危うさ(揺らぎ)」の意味があったのかと勝手に思っております。 人と人の関係性の線引き部分。 自分が「家族」だよなと思ったところで、血が繋がっていないという事実は「家族ではない」というある種、線引きになる。 ましてや、お互いが生活を共にするということだけが「家族」の定義でもなく、じゃあ一体「なんなのか?」。 内側と外側。他人の芝生はなんとやら。 これって、「真実の愛」的に、普遍のテーマではなかろうか? それは、それぞれが「個」だから、さも相手を自分であるかのように扱えるか? ということなんだろうか? まったくクローンの同じ人間が生活を共にしたら、円満に解決することなんだろうか? その度に、マルコビッチの穴を思い出すw(結局全く内容のない話でしたがね、こちらは) 「家族」の血のつながりって、その「家族」の何かしらの「テーマ」があるように思っています。 それこそが、家族という共同体であり、見つめなければいけない自分自身の「良いところ・悪いところ」を見つめ修正し、確認するための共同体なのでは?。 子供は親に似る ということは、子供の良いところ、悪いところは、その一族が積み重ねた人格の歴史なのでは?と。 これは心の成長 = 進化!!! 円満な家族ってのがいたとしたら、相当過去の人たちが頑張ってくれたのかもしれない。 最終的に「個」であることを認識(認知)しつつ、「他」を認識(認知)することが、共同体であることには重要なんだよねきっと。 お金がないってこと = 生きていけない って、変な時代になったもんです。 お金のシステムは、一部のヒエラルキーの先端の人たちが、自動的に金儲けをするためのシステムなんですの。 今日、youtubeでそんなビデオを観てからのこの一本で、かなり脳内麻痺を起こしている今日この頃w

言うのとやるのでは全然違う「許し」を考える

毎回問題が持ち上がるたびに、煮え繰り返るマイナスの気持ちを横に置いて、 そこに存在する「テーマ」は何か?を考えます。 今回のテーマは「許し」 スピ系で「許す」ことはこういうことですみたいな文章をよく見ますが、実際じゃあどうすれば良いの?という結構もんやりした理想論な気がしていました。 で、何か問題が起きて、喧嘩になったとします。 それは、常日頃小さな小さな問題が積み重なって、言わなかった言葉や感情が、堰を切ったように吹き出す瞬間。 感情は、抑圧し、表現しないことで強化されると聞きました。 言わないこと、は問題を生み出さないので、喧嘩は起こらない。 でも、言わない様にすることで余計その感情や言葉はフォーカスされて強調される。 自分のことは外から見た人のそれとは違うので、お互いに不平不満は絶対ある。 その「芽」が小さいうちに、冷静に話ができる時に対応できれば、マグマの火山の様に噴火することはないはず。 そして、その喧嘩が有意義だった時と、有意義じゃなかった場合。 有意義な時は、相手に伝えた言葉が、少しなりとも相手に伝わった時。 でも、有意義じゃなかった時は、ただただ自分の正当性に包まって、相手の言葉に耳を傾けず、再び同じような喧嘩が頻発することだ。 私はそれを「負のスパイラル」とか「魂の癖」といっています。 鼻くそをほじる人に、「やめてください」と言ったとして、「鼻ほじるのがなぜ悪い」と言い返すのと似ていて、私にとっては不快な状況なので「不快です」と伝えたとして、相手は「生理現象だし、自然にほじってるし(癖)全然問題ないし」と、相手のことは全く問題外です。 で、私は鼻くそをほじる状況がなくならない。(涙) さらに、状況は色々ある。 愛という名の「束縛・依存」だったり、その逆として、無視や虐待とかとか。 で、そんな状況を「許す」のは結構難しい。 基本、「相手は変えられない」 ので、状況はほぼ変化しないということ。 どうしたらいいのでしょう? まず、自分の中にある感情や言葉を理解し、整理して、相手に伝える。 「伝えた」という事実によって、自分の中にある言葉や感情はリリースできるので、 あとは相手がその「言葉や感情」を理解した、しないに関わらず、問題は「相手」に委ねられた(選択するのはあくまで相手である)ことで「許し」とする。 その後、同じ状況で喧嘩になったとして、努力して「わかって!」ということはもう「無駄」なので、頑張って伝えようとしなくても良いし、本当に困った時は、物理的に離れることも視野に入れたほうが良いかもしれません。 とりあえず、 相手に伝える=許す(リリース) 家族だと、「家族だから」ほっておけない。とかありますが、これもあくまで小さな社会のベースとして、伝えることはきちんと伝えて、どうしてもダメな場合は、手を離すことも大切なのかと思います。 愛情がないとかあるとか、そんな単純な話でもなく、どう考えても人生は「その人自身のもの」なので、その人が良しとすることが自分にとって難しいことだったとして、変えてもらえること、もらえないことはあるかと思います。 全てが全て、思い通りになるなんてことはない。 だからこそ、怒り・悲しさ・嫉妬などの負の感情にフォーカスしないで、きちんと発散させてあげた上で、 もう、関係ないさぁ〜(許す) ということなのでしょう。 逆も然りなので、誰かが自分に放った言葉や感情にもきちんと耳を傾けて、その上で「どちらを選ぶのか」を伝えられれば、それこそが相手も、自分も「許す」ことにつながるのではないでしょうか? そして最後に、その問題にぶち当たったことで、考える余地を与えてくれたその人に「感謝」することで、少し成長した自分を得ることができるかもしれません。
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